江戸時代における豚の飼育と薩摩藩   井上忠恕    Inoue, T. (2018). Swine breeding and the Satsuma domain in the Edo period

井上氏の研究は興味深い。特に次の3点。


(1)ポルトガル人が見聞した豚


 鹿児島県本土で豚が飼われていたことを示す 最も古い記録は ,ポルトガル人によるものがあ り,ポルトガル人は 1570 年までの 27 年間に 18 隻のポルトガル船が島津領に入港している。そ のうち 1546 年鹿児島県山川港に来航したジョー ジ・アルバレスは半年間に山川港を中心とした 「日本報告」をしており,その中に「家畜は豚, 羊(山羊の翻訳間違いか?),鶏などがおり,ま た人々はシカやウサギ,キジ,カモなどを捕らえて食用とする」と紹介している。


53_25-30.pdf (jp-spf-swine.org)


(2)ゴンザの「露日辞典」の「豚」

1728 年 11 月に薩摩藩主の命を受け大坂に向 けて薩摩の港を出帆した若潮丸は時し け 化に会い太 平洋を漂流し翌年 6 月にカムチャッカ半島に漂着 した 13) 。乗船していた少年ゴンザ(当時 11 歳で 1739 年 12 月に 21 歳で死去)とソウザ(1736 年 9 月に 43 歳で死去)は生き残り,後に二人は日 本語教師となり,ゴンザが中心となり 2 年間で世 界初の露日辞典を編纂し,その後合わせて 6 点を 著作した。露日辞典は 12,000 語から 16,000 語に および,日本語は薩摩弁であった。その中に豚に 関連する用語で,ハムを「シオシタブタ(塩した 豚)」,豚肉を「ブタンミ」,豚屋を「ブタヤ」,豚 の出産を「ブタンコモツ」などと翻訳している。 ゴンザらは現在の薩摩川内市の辺りの小さな漁 村 5)の出身であり,少年にも「塩した豚」など 豚肉食が存在していたことを示している


(3)江戸で飼育された豚


遺跡地の多くを占めていた薩摩藩上屋敷(図 1) は,現在の都営地下鉄三田駅付近から日本電気本 社ビル,ホテルザセレスティン東京芝,戸坂女子 短期大学などを含む広大なものであった。13 代 将軍家定に輿入れするために江戸入りした天璋院 篤姫は,ここ薩摩藩上屋敷に入り江戸暮らしを始 めた。戊辰戦争の契機になった,薩摩藩邸焼き討 ち事件の舞台ともなった。大半は江戸時代,薩摩 鹿児島島津家の上屋敷として機能していた。  考古学発掘調査では 17 世紀前葉から 19 世紀に 至るまでの遺構が 400 基以上確認され,陶磁器を 中心とした膨大な量の遺物も出土している。動物 遺体は貝類,甲殻類,魚類,両生類,爬虫類,鳥 類,哺乳類が確認されているが,哺乳類の出土が 目立っている。発掘された資料の保存状態はとて もよく,多くの動物種が同定されている。破片数 をもとに,各種の割合をみてみると,イノシシまたはブタがもっとも多く,全体の 58%を占めて いる。次にシカが 23%,犬 10%,ネコ 4%,ウ マ 3%の順で,その他の種は極めて少ない(図 2)。 仙台藩上屋敷跡(汐留遺跡)でも多量の動物骨を 出土しているが,多くはイヌやネコといった愛玩 動物で,ついでシカとウマであり,イノシシまた はブタはとても少ない(図 3)。  江戸薩摩藩邸跡のイノシシ骨またはブタ骨に は,サイズの小さいブタと大きいブタ,さらにこ れらの両者の形態的特徴が不明なイノシシあるい はブタの 3 種類が存在することがわかった。ブタ はイノシシを家畜化したもので,出土骨のブタと イノシシの区別が難しい場合が多い 6) 。年齢は 1 歳から 2 歳のものが多いことから飼育されていた 可能性が高い(図 4)。また,骨に解体痕が認め られ,屋敷内で解体・調理が行われたと考えられ る。  小型のブタは成獣でも 100kg 以下の小型ブタで,薩摩藩特産の黒ブタの可能性が高い。また, 成獣で 100kg を超える大型のブタは,中国大陸 か,ヨーロッパから持ち込まれた大型の「白ブタ」 と推測される。  この発掘調査の結果からも,江戸時代にブタが 飼育されていたという文献資料が裏付けられたわ けである

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