弥生時代のブタについて 西本 豊弘論文
国立歴史民俗博物館研究報告 第36集 (1991)175頁
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(1) 弥生時代の遣跡から出土したブタは、
大分市下郡桑苗遺跡・佐賀県唐津市菜畑遺跡・佐賀県吉野ケ里遺跡・大阪府和泉市池 上遺跡・大阪府八尾市亀井遣跡・奈良県田原本町唐古遺跡・愛知県朝日遺跡・神奈川県逗子市 池子遺跡・福岡県糸島郡二丈町曲り田遺跡など
(2)それらのブタは,イノシシに比べて後頭部が 丸く吻部が広くなっていることが特徴である。
(3)弥生時代のブタは日本でイノシシを家畜化し たものではなく,中国大陸からの渡来人によって日本にもたらされたものと考えている。
例えば、「菜畑遺跡ではブタが含まれていることが明らかであり,しかも「山の寺式」の時期から出土していることから,弥生時代の始まりの段階からブタが日本に持ち込まれていたと思 われる。そして,最初に述べた棒に吊された3個の下顎骨がブタであったとしたら,狩猟儀礼 とは言えないであろう。むしろ,後に述べるように唐古遺跡の例などからみて,それらは農耕 儀礼を示していると思われる。」〈178頁)
(3)また,ブ タの頭部の骨は,頭頂部から縦に割られているものが多いが,これは縄文時代には見られなかった 解体方法である。さらに,下顎骨の一部に穴があけられたものが多く出土しており,そこに棒を通 して儀礼的に取り扱われた例も知られている。縄文時代のイノシシの下顎骨には,穴があけられた ものはまったくなく,この取り扱い方は弥生時代に特有のものである。このことから,弥生時代の ブタは,食用とされただけではなく農耕儀礼にも用いられたと思われる。
(4)すなわち,稲作とその道 具のみが伝わって弥生時代が始まったのではなく,ブタなどの農耕家畜を伴なう文化の全生活体系 が渡来人と共に日本に伝わり,弥生時代が始まったと考えられるのである。
「少なくともブタを日本に持ち込んだ当初の弥生人は大陸からの渡来人であったと思われる。そ して,ブタの出土量から見て,渡来人はかなり多かったのではなかろうかと推測される。また,渡来は一回ではなく何回もあり,そのグループごとに,別のブタを連れて来た可能性が考えら れる。そのグループは,男だけのグループの場合もあったかもしれないが,おそらく,氏族単 位でまとまって渡来したことも多いのであろう。その場合,農耕技術だけではなく,故地にお ける身分制や家族制をはじめとして,すべての生活様式が日本に持ち込まれたと考えてよいで あろう。それらの弥生人が日本各地に広がるにしたがって,ブタも各地に広がったと思われる。 もちろん,弥生人が縄文人をすべて駆逐したと考えているわけではなく,弥生時代の当初の段 階においては,渡来人が多いというだけである。つまり,九州の縄文人が朝鮮半島や中国大陸 に出かけて行って稲作を学んで日本に帰り,稲作が広まって弥生時代になったと考えることは 無理があり,多くの渡来人によって,弥生時代になったと考えた方が理解しやすいのである。}186頁。
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